2008年4月3日木曜日

若槻千夏

若槻 千夏(わかつき ちなつ、本名:栗原 千春、1984年5月28日 - )は、日本グラビアアイドル女性タレント歌手プラチナムプロダクション所属
1984年
5月28日埼玉県比企郡吉見町に生まれる。子供の頃はなかなか背が伸びず、小学校6年生で130cmしかない小さな女の子だったという。小学校にお菓子持っていって食べてたり、他のクラスに紛れてプールで泳いでたり、通知表には「クラスで一番活発な女の子です。でも授業中まで延長しすぎ」と書かれたいわゆるお転婆娘だった。
2001年
17歳の時に友人と渋谷109に遊びに来ていたところを現所属事務所からスカウトされる。
成人雑誌の水着グラビアでデビュー。デビュー当初は本名で活動し雑誌グラビアやテレビ朝日内のサイト『WEBアイドル図鑑』を中心に活躍。間もなく現在の芸名に改名。
11月よりTBSキャイーン式(スタイル)』の番組内企画「ヒデキ(ウド鈴木)の妹オーディション」にセクシー部門代表として地上波初出演。オーディション合格者で結成された期間限定ユニット「いもこん」のメンバー(五女)として活躍。
2002年
ミスマガジン2002にエントリーしセミファイナルまで進出。ファン投票4位になりファイナリスト選出が確実視されていたが、同じ事務所の伊織星野加奈高杉さとみとともに全日本GT選手権(JGTC)イメージガール「wi☆th」のメンバーに抜擢されたことや、講談社週刊ヤングマガジン』のライバル誌である集英社週刊ヤングジャンプ』とのグラビア専属契約が締結された為、これを断念。
9月、「wi☆th」名義でavex traxからCDデビューを飾っている。
2003年
年頭から本格的にグラビアからテレビ、ラジオ業界への進出を開始。当時はまだ深夜枠放送だったフジテレビトリビアの泉』、『クイズ!ヘキサゴン』、テレビ朝日『銭形金太郎』などバラエティ番組を中心に出演。
10月、日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』に出演。明石家さんまと初共演するも殆ど喋れず悔しい思いをしたことが後にバラエティタレントとしての稀有な才能を開花させることになる。
11月よりフジテレビ『LIVE2003すぽると!&ニュース』のレギュラーリポーターとして仲根かすみとともに抜擢、翌年9月末まで出演。
2004年
3月公開の映画『呪霊 THE MOVIE ~黒呪霊~』にて初出演・初主演でスクリーンデビュー。
4月、テレビ東京中山道』の出演をきっかけに中山秀征に気に入られ、以後共演番組が増える(「チナッティー」の愛称はこの当時につけられたもの)
5月、フジテレビ『ディヴィジョン1 STAGE2・ランナーズハイ』にて民放ドラマ初出演。
9月、熱中症と急性胃腸炎を併発し緊急入院し1週間後に退院。
10月、主演映画2作目『想色~オモイ・ノ・イロ~』公開。公開初日にテレビ放送されたフジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』の特番「国立め茶の水女子大学付属高等学校 第1回抜き打ち中間テスト」出演時のとある発言(後述)により、バラエティタレントとして一般知名度を一気に上げた(放送内容は抜き打ちテスト (めちゃ×2イケてるッ!)を参照)。
2005年
年頭よりフジテレビ系の競馬バラエティ番組『うまッチ!』にて民放地上波番組の初メイン司会に抜擢される。
4月より『スーパー競馬』メインキャスター。他にも日本テレビ系『メレンゲの気持ち』等レギュラー番組が一気に増える。この年の菊花賞の放送では、京都競馬場ドリーム競馬との交流放送で水野麗奈とリポートもしていた。
ヘアーカラーリング・アワード2005タレント部門、第1回Best Jerseist女性部門受賞。
2006年
11月6日、「神経性胃炎および 潰瘍性大腸炎」で体調を崩した事から、全てのレギュラー番組出演と年末年始の番組収録をキャンセルし、2か月間の療養に入る。若槻が出る予定だった所は事務所の後輩の岩佐真悠子東原亜希がいくつか代役に回っていた。
12月23日、深夜放送の『うまッチ!』より復帰したが、病気の再発を防ぐため『うまッチ!』、『スーパー競馬』などのレギュラー番組は降板。
2007年
1月18日ブログマーボー豆腐は飲み物です。」を開始。
7月3日放送の『踊る!さんま御殿!!』で、「家では常に裸」、「そのために一人暮らしをしたかった」と発言。
7月5日放送の『ダウンタウンDX』で、「中国針など、無謀なチャレンジを7回もした」と発言。
8月10日放送の『なつめぐ堂』で、友人の結婚式に呼ばれ、ご祝儀袋の表に自分の名前を書かなければいけないが、「渡す人の名前を書くのかと思ってその新婦(=友人)の名前を書いてしまった」と発言。
11月27日、年内中にも芸能界を引退すると報道された。「頭の中がごちゃごちゃしている」と26日からブログの執筆活動を止め、若槻はクリエーターへの転身を考えているという一部報道があったが同日中に自身のブログでこの報道を否定した。
12月14日、『恋するハニカミ!』でブログを休もうと思った本当の理由を語った。人生初の告白をしたが失恋してしまい、そこへ風邪も重なりそれらの心労から2〜3日だけブログを休もうと思ったと打ち明けた。
12月28日、海外「修行」報道がなされた。だが同日、自身のブログ記事において否定した。
12月31日、アメーバブログから去る事を自身のブログ記事で報告をした。同日、第58回NHK紅白歌合戦柳原可奈子と共に布施明の応援ゲストとして出演。
2008年
2月26日、オフィシャルサイト「若槻千夏 24」をオープンさせた。

東武東上線電車運転士だった父、母、五歳上の兄、ネコ(レモン&トマト)2匹、イヌ(ハチ)1匹。
現在は埼玉の実家から出て都心で一人暮らし。
デビュー当時の夢が「自分の稼いだお金で家族旅行をすること」と語っていた。

芸名である「若槻千夏」の「若槻」は、満州事変の時の総理大臣である若槻禮次郎から取り、「千夏」は、若槻にあう字画数からつけたという。姓名占いを元に命名した以外は特別な意味はなく、若槻千夏は禮次郎が何をした人か等は全く知らないらしい。

若手芸能人からは「ちぃ、ちぃちゃん、ちっち」
中堅クラスの芸能人からは「ちなっちゃん」
大物芸能人からは「若槻!」
中山秀征等からは「チナッティー」

好きな食べ物
焼肉シュークリーム納豆巻きお子様ランチファーストフードなどのジャンクフードケンタッキーフライドチキンの皮。
大のパン好きでもある。
嫌いな食べ物
小さい時にバナナを食べて気持ちが悪くなったことがトラウマになって食べられなくなったという。だが芸能界入りしてからバナナジュースは飲めるようになった。
好きな歌手
中島美嘉
HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に中島が出演した際「芸能界一中島美嘉好きなタレント」としてゲスト出演。「今までリリースされた中島のCDを全て持っている」「NANAの大崎ナナは中島さんだと(映画発表以前に)思った」などと発言、そして「私たちは友達になるべき」と主張した。友達になれる要素として二人の共通点だとする「マヨネーズ好き」「太陽が嫌い」「被り物が好き」を挙げた。その後ダウンタウン松本人志におちょくられながらも中島とのツーショット写真を撮ってもらい、さらに中島とメールアドレスや電話番号を交換した。
しかし中島は次に出演した際「わたしからはメールするんですけど、あっちからは来ない事の方が多いんですけど」と発言。そして若槻からのビデオメールが流れ「中島さんとの共通の話題を考えてみたら、ねーな、と(笑)。わたしにとっては中島さんは神様のような存在なので、中島さんからの連絡を待とうと思います」的な答えで中島は納得していたもようである。
徳永英明
母親の影響で自身もファンになったと語っており、赤坂泰彦のサタデーリクエストバトル堂本剛の正直しんどいうたばんで徳永と共演を果たした際には、『壊れかけのradio』のサビ部分を本人の前で歌い徳永本人から歌のうまさを褒められている。
森山直太朗
森山本人がDJを務める『OH! MY RADIO』にゲスト出演した際、リクエストを求められるとアルバム収録曲の名を挙げて森山を驚かせた。
モーニング娘。
芸能界に憧れていた母親の影響から自身も早くから芸能界に興味を抱いており、モーニング娘。(特に後藤真希)のファンだった。スカウトされた時は自分よりも母親のほうが喜んだという。しかし本人は所属事務所の人間に詳しい話を聞くまで「芸能界」を「『芸能会』という名前の1つの会社」と思い込んでおり、「デビューすればモーニング娘。に入れると思っていた」と後にいくつかのトークバラエティで語っている。もし芸能界デビューしていなかったら地元の製缶工場に就職する予定だったと『新堂本兄弟』の中で告白している。
漫画
矢沢あい作品は全て好きで『NANA』はブレイクする前からの大ファンであり自身のバイブルと様々なインタビューで答えている。
音楽系雑誌『ザッピィ』の連載でファンから寄せられた情報がきっかけになって男性向け漫画も読むようになり、『ONE PIECE』、『DEATH NOTE』『LIAR GAME』などは特に熱中したという。
魁!!クロマティ高校課長バカ一代(共に野中英次作)などのナンセンスギャグ漫画も好む。
アニメ
兄の影響からか漫画だけでなくアニメにも理解があり、特番『芸能人アニメ通が集結!徹底調査!!好きなアニメランキングベスト100』で美少女キャラアニメの『魔法先生ネギま!』に投票した。
好きな動物
現在実家で飼われている猫達も若槻自身が拾ってきたものだという。
体の大きい動物は苦手のようで、競馬の仕事を始めてから競走馬に直接携わることも多くなったが、怖がっておっかなびっくりだった。しかし『うまッチ!』番組内でも応援していた後の7冠馬ディープインパクトを激励に訪れた際に、大人しく鼻面を触らせてくれたことで大好きになったようである。
競馬
デビュー当初は、のめり込んじゃいそうだから「ギャンブルは嫌い」と発言していたが、2005年より本格的に競馬の仕事に携わるようになる。
20歳の誕生日直後に行われた第71回日本ダービーに番組ゲストで呼ばれた際、ビギナーズラックで馬券を当てたことが競馬にのめり込むきっかけとなったという。
メインの重賞レースで有り金をスッてしまい、関係者にお金を借りてまで最終レースにつぎ込んだ逸話もテレビ番組内で関係者証言が流された。
競馬番組から離れた今でも競馬は趣味として馬券を買いに行った事などが公式ブログで公開されている。
ただし他のギャンブルに手を出しているわけではなく、あくまで競馬ファンだと語る。
本人曰く「競馬は、社会的地位とか頭の良さとか関係なく、勝った者が1番偉くなれる」
その他の趣味
映画のDVD、フィギュア、小物、帽子の収集。
中学生の頃はハローキティが大好きで、実家の部屋はグッズで埋め尽くされている。

料理
2006年正月の特番堂本剛の朝までしんどい』では、自ら差し入れで作ってきた特製エビチリソースを出演者に振舞ったところ、その味を全員に絶賛された。
2006年明石家電視台in韓国・済州島村上ショージとチャーハン対決を行った際も、明石家さんまから高評価を受け対決に勝利。
たこ焼き作りも得意である。さんまのまんまに出演した時は自前のたこ焼き作りセットを持ち込み、明石家さんまに振舞ったことがある。
キャベツの千切りを得意としており、これはアルバイト先の採用に受かるためにキャベツの千切りを特訓したことによる。いくつかのバラエティ番組でもその技を披露しているが、『世界まる見え!テレビ特捜部』で披露した時には指を切ってしまったこともある。
一度だけ出演した愛のエプロン3で下エプ評価を受けるも、料理の鉄人に鉄人として出演していた中華の陳建一から「料理が上手くなる素質はある」とコメントされている。
掃除
2007年5月16日放送の『今田ハウジング』で自宅をVTR公開した時も、若い女子に似合わずあまりに簡素で殺風景なので他の出演者から驚かれている。1日1回は必ず掃除し、トイレは使っても使わなくても毎朝夜必ず掃除するという。
自宅のトイレを汚したくないあまり、自分はおろか来客者達にも使用させないという。
裁縫
親にミシンをプレゼントされてからは古着のリメイクを好んで行っている。雑誌の連載でもその腕前を披露したことがあり、私服として着用することも多い。
その他の特技
ピアノ、携帯メールの早打ち、テンキーパッドの早押し、アイロン掛け、携帯電話のデコレーション。

所属事務所が年1回行っている夏の日帰り旅行の時、後輩たちの為に自腹で大量の差し入れを持って現れたりするエピソードが後輩タレントの口から語られている。
お互いに親友と認識しているのは安田美沙子ウエンツ瑛士MEGUMIKABA.ちゃん東原亜希ほか数人だけだという。また自身を「姉さん」と慕う年下の大沢あかねを可愛がっている表現が公式ブログなどで多数見受けられる。ただ、芸歴は大沢の方が長く、若槻は「先輩後輩」と言っている。
熊田曜子安田美沙子と共に出演した『アメトーク』にて、グラビアアイドルの私的交流会・通称「グラビア会」の存在を明かしている。これは1999年から2001年頃にデビューしたグラビアアイドルが月1程度で集まって情報交換共々日頃のストレスを解消し楽しむための会合であり、番組内でのトークやブログに公開された写真などによると、他にほしのあき磯山さやか夏川純杏さゆり山本梓等が参加し誕生日会の開催などを行っているのだという。以降、男性芸能人(特にお笑い芸人)から事あるごとに「参加したい」という打診があるが、原則男子禁制であるためにKABA.ちゃんなどごく一部以外は男性芸能人の参加が許可されていない。例外として、「アイドルも凄く努力している。芸人として危機感を感じずにはいられない。どのような会合なのか、僕も研究したい」と、関根勤が参加したことがある。若槻自身は相手がグラビア出身であれば自分より年上の女性でも「ちゃん付け」で呼ぶが、これはいくつかの発言の場で「同じグラビアをやってる娘たちとは、ライバル視するよりもみんなで売れていきたい」という願いからだという。
明石家さんまから「人数足らんから若槻、今晩いいか?」と言われ、久しぶりの合コンだと思った若槻は、めかしこんで指定された場所につくと、さんまから「おお、若槻!悪いけど、今晩村上ショージ、参加できんのや」と言われて「いえ、全然かまいません」と答えたのだが、そこが合コン会場ではなく、さんまが時折開く、通称「張り芸教室」と呼ばれる食事会だとわかる。集まっていたのは、さんまを筆頭にガダルカナル・タカ松尾伴内浅田美代子。浅田はさんまの話を無視しながら食事をするが、他の人達は、さんまの話に声を張りながら答え、なおかつ運ばれてくる料理をちゃんと食べていたのだが、若槻は聞くのに一生懸命で料理を食べる事がおろそかになっていたところ、さんまから「若槻、話もテンポやけど、料理(を食べるの)もテンポやで!」と言われて「知らんがな!」と答えたのだった。

高校時代はパソコン部に所属。しかし殆ど部活には出ないで、小遣い稼ぎのためにアルバイトに精を出していたという。アルバイト先の軽食店では、お客さんが手付かずで残したオーダー品を冷蔵庫で冷やしておやつにしていたこと等がアルバイト先のオーナーの口から語られている。
グラビアデビューしてから暫くの間は、父親に芸能界入りを知らせていなかったが、ある日電車の中吊り広告に出ていたのを父親が気付いてしまい発覚。父親は5年という期限を設けたが、自ら「3年間頑張って芽が出なければスッパリ辞める。もし成功したらそのまま続けさせてください」という約束で芸能界入りを認めてもらった。父は今では自ら写真集を大量購入し、知り合いに配りまわるほどに応援してくれているという。
グラビアアイドルとしての活動を始めてから半年ほど、小遣い稼ぎのために事務所に黙ってビル清掃の早朝アルバイトを兼務していた事があるという。また、遠方にある埼玉の実家から渋谷の事務所まで通うのが大変だった事で、一人暮らしを始めるまでは着替え持参でシャワー設備のある渋谷の漫画喫茶に最長1週間寝泊りしていたことがあるとのこと。

視力が悪いためコンタクトレンズ眼鏡を使用している。若槻のブログにそれがわかる内容が数カ所見られ、雑誌に眼鏡をかけている姿が掲載されていた。

自身は卓球が得意(中学時代は卓球部)としているが、その卓球を含め、運動神経を競うアトラクションでは活躍できずに終わることが殆ど。

車の運転に関しては得意な模様で、2006年半ばに普通自動車運転免許を取得し、堂本剛の正直しんどいの中で運転技術を披露している。
千原兄弟千原ジュニアの発言によると、若槻と千原ジュニアは現在同じマンションに住んでおり、車庫も隣り同士。ジュニア曰く、「若槻はめちゃめちゃデカイ車に乗っている」上に「きちんと奥までバックで駐車させておかないため、車庫に車を出し入れするときたいへん邪魔になる」と語っていた。

2004年フジテレビめちゃ×2イケてるッ!オールスター夢の激突8周年感謝スペシャル バカまん決定!!め茶の水女子大附高校 抜き打ち中間テストの回において出演者の中で最下位の成績を収め、「バカまん」との称号を得る。本人はこれに反発し「(私は)バカまんじゃありません! ヤリまん(やる気満々の意味)です!!」と叫んだ。この日、日本列島を大型台風が直撃し在宅率が多かったことと番組内容の面白さが相まって、同番組の視聴率は急上昇。バラエティ番組史上7位の高視聴率を叩き出した。実質上その時の主役だった若槻は、これをきっかけにバラエティアイドルとして知名度も一気に全国区に踊り出ることになり、まさにターニングポイントとなった。この番組に出演以降「おバカキャラ」が定着し、逆に珍回答を期待するクイズ番組などのオファーが増えた。ちなみにこの日は偶然にも自身の出演映画『想色(おもいのいろ)』の公開日で番組放送時は舞台挨拶中であり、異様なほど大きな反響があったことを本人は後から知って驚いた、と後に語っている。
普通自動車運転免許を取得する際、「学科試験に6回も落ちて、しかもそのうち2回は外国人コース」と語る。なお、自動車教習所に『外国人コース』は実在しない。外国人受験者向けに問題と答案用紙の漢字にルビを振ってあるのみ。漢字がほとんど読めないため、全ての漢字に振り仮名が振られている問題用紙で2回受験したものの、2回とも落ちてしまい、受験した場所にちなんで『魔の鮫洲』という学科試験のエピソードが複数の番組で数回語られている。
クイズ!ヘキサゴンII」には下位常連として度々出演していた時期がある。「フジテレビアナウンサー大会」(2006年2月8日放送分)では香田晋村上ショージと共に番組の「最強おバカさん」としてアンカー回答者になっていたが、本来アシスタントでこの回は回答者側に回っていた中村仁美アナの代理でアシスタントを務めた。「ヘキサゴンII」には数ヶ月に1度程度出演しているが、「予選ペーパーテスト」では現在まで最下位を脱出したことが1回しかなく、最高点5点・最低点1点・平均2.78点は3回以上出演した人物の中では全てワースト、(初出演から)7回連続最下位の番組記録も持っている(以上は「アナウンサー大会」も含めての数字)。また前述の通り漢字が読めないので、「アナウンスクイズ」では司会の島田紳助を爆笑させることがしばしば見られる。あまりの「おバカさん」ぶりから、2007年7月11日放送分の「PKクイズ」の問題に使われた「都内の女子高校生300人に聞いた"こいつバカだなぁ"と思うタレントベスト20」では、「ヘキサゴンII」での「おバカさん」の筆頭格である里田まいを抑えて1位になった。若槻が「予選ペーパーテスト」で勝ったことがあるのは事務所の後輩である木下優樹菜のみであるが、若槻は木下のブレイクに一役買っている。元々木下はグラビアアイドルとしてデビューしたが、2007年2月21日放送分に若槻が「若槻の事務所の後輩」として木下を連れて出演したところ、木下は「予選ペーパーテスト」で通常なら最下位クラスの4点を取り(ただし若槻が2点だったため最下位は免れた)、その後のクイズでも珍回答を連発して準レギュラーに昇格。「おバカさんアイドル」としてブレイクする大きなきっかけになった。ちなみに若槻が木下に勝ったのは2007年4月18日放送分である(若槻5点・木下4点)。なお、2007年8月1日放送分の2時間スペシャルでは、収録前日にブログで里田や木下など準レギュラー格の「おバカさん」が多数出演すると予想し、「こんだけアレ(おバカさん)が揃えば私は馬鹿槻千夏を卒業です」と自信を見せていたが、「予選ペーパーテスト」では自身2度目の1点(1点以下を複数回記録したのは史上初)を取ってしまい結局、ダントツの最下位。過去の出演で最下位を争った木下にも10点差を付けられていた。

初期の頃のバラエティ番組で海に投げられ溺れかけた事がきっかけで水に対して極度の恐怖感を持つようになったという。その度合いは、デビュー以後、顔を洗う事も出来ず濡れタオルで顔を拭いているほど。
テレビ東京の特番『浜田スーパー親子塾』においては、子供達と沖縄の海で熱帯魚を見ようという企画の際、水深が膝の高さほどの浅瀬でゴーグル・シュノーケルにウエットスーツ着用という条件にも関わらず、恐怖でなかなか海面に顔を付ける事が出来ず、共演者の励ましでやっとの思いで海中を覗く様子が放送された。

痛快!明石家電視台のスペシャルでは3度明石家さんまによって泣かされている。1度目はカーリング、2度目は村上ショージとの中華料理対決、3度目はクイズに1発で答えてしまい落ち込んでいるところをイジられたため。
2006年に放送されたフジテレビの深夜特番タミゴエにおいて「写真集の発売イベントで昔から応援しているファンの皆さんが大勢集まってくれたことに感激して泣き出してしまい、イベントを中断して化粧直しをした」という関係者コメントが放送されている。

ダイエットのために始めたジム通いも中途半端に終わり、使用料の滞納で辞めさせられたことがあるという。
通販マニアでよく買い物をするが、到着した本棚を組み立てずに放置したり、商品が届く頃には興味を失っていることもしばしばあるという。『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した際、通販で買ったまま箱も開けずに自宅に放置していたパン焼き機を番組オークションに出したこともあると語っていた。
堂本剛の正直しんどい』に出演したのがきっかけで、ギターを始める。

社交的な性格から付き合いで外に出ることも多いが、1人でいる時間も同じように大切にしているという。
仕事の合間を使って雑貨屋などのショッピングはよく行く。
自宅や漫画喫茶で漫画を読んだりしてノンビリする時間も好きとのこと。
病気療養後は余暇を利用して自ら一般人に混じってフリーマーケットに出品し売り子をしていたりもしている。

自身でも「恋愛に関しては糞真面目」と語り、異性に対してはシャイで引っ込み思案で、二人きりになると照れてしまって何も喋れなくなり、自分からは好きと告白できないという。
家事が得意なこともあって、好きな相手には何かしてあげたいと思い、「尽くすタイプ」と自身で発言している。
中学時代、当時憧れていたバスケットボール部の先輩に僅かでも近付きたかった一心から、スポーツ音痴の自分にも出来る種目で、練習が同じ体育館内(部活中ずっと見ていられる)という理由で卓球部に所属。
LIVE2003 すぽると!&ニュースのレポーター時代、当時のイケメンの代名詞であったサッカーのデビッド・ベッカムロサンゼルス・ギャラクシー)のファンになり、来日記者会見で目線をもらっただけで泣き出してしまう程だったが、母より借りた韓国ドラマのDVD『冬のソナタ』をきっかけにペ・ヨンジュンファンに鞍替えした。好きが昂じて2005年夏のオフには母と共にプライベートで「冬ソナツアー」にも参加した。
2007年の正月深夜特番『女だらけのかうんとだうん新年会』にて、「抱かれたい芸人ベスト3」というお題が出された時に、若槻は1位に土肥ポン太、2位にサバンナ八木真澄、3位にケンドーコバヤシをあげている。
同年8月7日にはダルビッシュ有に失恋したと自身のブログで明かした。

2007年1月18日よりサイバーエージェント運営のレンタルブログサービス・アメブロで本人出筆による公式ブログ『マーボー豆腐は飲み物です。』を開始。普段は明かさない心の内面を素直に綴った内容と芸能生活の面白おかしいエピソード披露が好評となる。
ブログには自身の事以外にも共演者や芸能界の友人たちの様子がネタとして書かれる事も多く、マネージャーの通称「ハンサム氏」東原亜希大沢あかね品川祐品川庄司)、藤本敏史FUJIWARA)、KABA.ちゃんなど頻繁に登場するレギュラーキャラクターも存在する。また、品川は若槻のことを新ブログの女王と呼んでいる。
一般閲覧者のみならず、鈴木繭菓小松千春など芸能人の中にも自身のブログで、また鈴木杏など、共演した番組内で若槻ブログのファンである事を公言する者も数多い。
タイトルはマネージャーのハンサム氏の発言に由来。しかし「その場のノリで付けてしまったので、後から考えたらもっといいタイトルを付ければよかった」と少々後悔しているという。
事務所の同僚であり親友でもある東原亜希が自身のブログで若槻のことをネタにする場合、よくイニシャルで「WC」と記していたが、若槻当人はトイレ(water closet)の略称と一緒である事を気にしている(2007年6月13日付の更新より)。しかし最近では、東原はそれに配慮してか、その書き方をしていない。
一時期コメント欄が荒れたことが原因でコメント欄を閉鎖したが、2007年の誕生日に一時的にコメント欄を復帰したところ、1日で7500オーバーという空前のコメント数を記録する。その事に感じ入った若槻はそのまま継続してコメント欄を開放している。
ブログ上の自己紹介は、性別『愛想あるのにもてない』、誕生日村上ショージさんと同じ誕生日』、出身地『グラビア界の東武東上線』、特技『リアクション』、趣味『いたずら』としている。
2007年11月26日、「少しblogをお休みさせて頂きます。」を含む記事が掲載されるが翌27日には「自分はblogを軽く休むつもりでしたが何か周りがザワザワしてしまい、どんなツラして再開していいもんかと。」を含む記事が掲載された。
2007年11月30日、『アメーバブログ』での本人公式ブログ『マーボー豆腐は飲み物です。』タレント・有名人ランキングで『殿堂入り』を果たす。
2007年12月31日、自分のアメーバブログブログを終了することを明らかにした。

バラエティ番組をハードディスクに録りためて自分のトークの反省や勉強を怠らないという。これはかつて踊る!さんま御殿!!に出演した際、「話の輪に入っていけず全く喋れなかった事で悔しい思いをしたのが原因」と後の雑誌インタビューで答えている。
絶対に椅子に深く座らず、いつでも立てるように前のめりに座っている等、他の芸人よりも素早くリアクションを取るシーンが数多く見受けられる。
バラエティでの振る舞いや一般人に絡まれた際の対応等について、自ら出川哲朗に教わりに行ったことがある。
品川祐爆笑問題の検索ちゃんで発言したところによると、「番組でトークをカットされないためのコツ」という所謂ひな壇芸人テクニックを教わっている。
2006年、新堂本兄弟で、競馬番組を担当していた当時に自ら付けていた競馬ノートと、普段からつけている料理レシピをテレビ番組内で公開した。
バラエティー番組では言動が極めてストレートで、共演者に「それ、~じゃん!」、「意味ねー!」、「すげー!!」など、いわゆる若者言葉で応答する事が多い。自らは雑誌のインタビューで「芸能界で生き残る為に毒舌キャラを演じている」と発言しており、実際に出る番組のカラーによって言葉遣いを変えている場面は見受けられる。
島田紳助中山秀征明石家さんま細木数子鳥越俊太郎他、多くの番組共演者からその頭の回転や機転の良さ、気配りを評価される場面があったり、涙腺が脆く番組内で涙を見せる場面も多くあったりする。
口の軽いおしゃべりなキャラが災いし、男性芸能人から携帯の電話番号をなかなか教えてもらえないという。自身が周囲の意見を聞いてみたところ「話すといろいろ外でバラされそうだから」。そんな中で芸人の原口あきまさには無理矢理、携帯の電話番号を交換してもらったという。
トーク中に適当に答える芸風は高田純次を彷彿させ、さまぁ~ず三村からもフジテレビの深夜番組内『タミゴエ』でその事を指摘され、「そういえば高田さんの(著書である)『適当論』を最近読みました」と発言している。
2003年のテレビ進出以降、営業戦略上の理由でグラビアでの水着露出を控えていたが、当人は未だにグラビアアイドルを天職と考えているようで、作るなら自ら関わって最高の物を、というポリシーから、2006年5月、自身の22歳の誕生日に約3年ぶりとなるセルフ・プロデュース写真集『チナッティー ~ホノルルと神田の関係~』(撮影:藤代冥砂)を発表。生尻の露出を強調した写真で注目を集めた。この写真集の為に3キロ近く減量を行ったり、グラビアの為にストイックに取り組む姿は、ファンのみならず関係者からも高い評価だったという。ただしこれ以上の露出をするつもりはなく、「グラビアはやれても写真集は当分は無理でしょうね」と2007年の雑誌「FLASH」グラビアでコメントしている。また「乳首が黒い」という理由から、たとえ映画等で脱ぐ必然性があったとしてもヌードを披露する気はないという。
過去に2度CDを発売しているが実売が良くなかったこともあり、その事実を隠したがる様子が度々バラエティ番組で映される。またそれをネタに番組内でいじられて泣いた場面もあるが、歌うこと自体は好きであり、仲の良い大沢あかねとカラオケに出かけた様子がブログに掲載されたり、「第8回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル(2007年5月22日放送)」では準決勝まで進むなど、それなりの歌唱力は持ち合わせている。また2007年6月にかつて共にユニットを組んで活躍した同じ事務所の高杉さと美が歌手として再デビューした際には、自身のブログで「私の時とは扱いが違う」とavex松浦社長に皮肉とも取れる発言をしているが、これは若槻流のジョークだろう。
2007年8月19日放送の24時間テレビ(日本テレビ)に出演した際、ドッキリに引っかっかった映像が流された。飲食店で、東原亜希から番組の共演者であるビビる大木からセクハラを受け秀さんに言った方が良かったかな、と相談された若槻はビビる大木のことを「キモス」「確実に彼は(中山秀征の)バーターですよ」と言い放ち、自分がセクハラされた場合には「されたら言う」「ちょーでっかい声で言う」「生放送で言う」と語る。その後、東原は『踊るさんま御殿』が苦手であり、明石家さんまの視線に耐えられないという話をふると、若槻は「わたしコツ知ってるから」「話のネタがあるときは、さんまさんをじっと見て、話がないときはゲストの方ばっか見て、絶対にさんまさんを見ないの。そうすると、まったく話を振られないから!」と語り、さらにトーク番組に出演した際に、編集でカットされないテクニックを披露する。それは「背もたれに寄りかかるな、大御所の語尾に重ねていけ」だった。そして話はワイプに移り、若槻いわく「乗り気のときって、わたしワイプですら活躍してるの」と嬉しそうに語る。だが、このセリフが24時間テレビの着信ボイスとしてダウンロードされるはめになったのであった。なお、このドッキリについては、若槻のブログ内でオソルベシ大人達。、東原のブログ内でエイプで語られている。
とんねるずのみなさんのおかげでした』の『食わず嫌い』のコーナーに出演した時、対戦相手である藤岡弘、が水を飲んでる最中にいきなり吹き出した!この時若槻は「なんで、なんで!?(を連発しながら)大事故!!」と大笑いしながら対処した。なお石橋貴明は「そんな人いないですよ!対戦相手に向けて水を逆噴射するなんて!」と驚き半分笑い半分の面持ちで感想を語った。

2007年6月19日渋谷区松涛にある女性専門入浴施設『SHIESPA』爆発事故で3人が死亡した事故について、その当日に行きつけだった当該施設へ向かっていたが、ふと思い立って行くのを中止し、自宅に引き返したという[。その後自宅でテレビを見ていたところ当該施設の爆発事故を知り危うく難を逃れたことを自身のブログで明らかにしている。

0 件のコメント: